李明博韓国現大統領が、現代建設の会長だった時の話である。日本のホテルに宿泊した際、重要な書類の入った封筒を郵送してくれるように、ホテルマンに依頼した。しかし、万が一のことを思い、その従業員を呼びとめ、名前を聞いた。すると、彼はしばし李会長を見つめて、”I am Japanese”と答えたのだという。
「『日本人である私が信じられないのか』という彼の視線に衝撃を受けました。私は今も、その従業員の堂々とした態度が忘れられません」。
李大統領は、不正と腐敗がまかり通る韓国社会を憂い、韓国人も国際社会で「正直な民族」と評判されるようになるべきだと語っている。
しかし、昨今の嘘、偽装、詐欺、改ざん、万引きがあふれる日本の社会を見ていると、李大統領はどこの国の話をしているのかと疑いたくなる。果たして今、私たちは堂々と「われわれは正直と誠実で名高い日本人である」と言えるだろうか。”I am Japanese”と言えば、外国人に衝撃を与えられるだろうか。諸外国よりはまだましだ、と思ってはならない。
嘘と不正が蔓延する社会にあっても、せめて私たち日本のクリスチャンは、「正直で誠実で、信頼できる」という評判を取りたい。「正直者は損をする」と言うなら、敢えて損をしよう。「今どき隠れたところでも誠実を尽くすなんて愚かだ」と言うなら、進んで愚かになろう。「神の愚かさは、人よりも賢い」(Iコリ1・25)のだ。みんなが不正をしても、クリスチャンである私はしない、という決意をしよう。正直と誠実さで、人に衝撃を与えることを目指そう。そのためには、常に神を恐れよう。「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」(伝道者12・13)。
クリスチャンは、特に少数派の日本のクリスチャンは、創造主なる神に期待されていると信じる。期待されることは、ありがたいことだ。それに応えよう。