韓東大学の良心

韓国の純キリスト教主義の韓東大学では、無監督で学期試験が実施されている。2000年の全校生アンケートでは、60%が神の前で恥じることなく試験を受け、20%が誘惑に遭うことはあっても陥ることはなく、16%は誘惑に負けたことがあったが悔い改めて2度としないことを決意し、残り4%は過去もしたし今後もするだろう、という結果だった。

 「16%のグループ」に属するヤンという学生が、最初は無理して良心を守ることにしたが、試験のたびに、逃してしまわなければならない「利益」が惜しくてたまらなかったと告白している。彼は何日も祈ったすえ、神様からこんな答えを受けた。

「あなたが良心に逆らって得た利益は、もともとあなたのものではない。汚物の中に落ちたあなたのものではない十ウォン玉を得るために、あなたの手を汚すつもりなのか」。

以後、良心を守ることは、苦しいことでも自慢することでもなくなった、という。つまり、当たり前のことなのだ。無監督試験は「名誉制度」と呼ばれるが、学生らは「制度」を守っているのではなく、自分の良心を守っているのだ(『パピルスのかご』326〜7)。

私たちクリスチャン(Christian)も、キリスト(Christ)の名を冠せられた者としての誉れを守っていこう。私たちは、聖書の教えを単なる規則のように守っているのではない。キリストの十字架の犠牲によって受けた「聖い良心」を守っているのである。
不正や嘘や盗みで得た利益は、もともと私たちのものではない。些細な罪でもそれに馴染むことは、汚物の中に落ちた他人の1円玉を、手を突っ込んで盗み出すのと同じである。私たちの体は「神から受けた聖霊の宮」(Iコリント6・19)である。この世で朽ちてしまうものを得るために、不正をして、聖くされた体を汚すのはいやだ。「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ」(ヘブル10・22)ている。

「信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜く」(Iテモテ1・18)決心を新たにしよう。傷害、盗み、うそ、貪欲、姦淫が当たり前になった日本の社会を変えるために、まず私たちが変えられよう。