赦すことしか与えるものがない

イマキュレー・イリバギザというルワンダ女性が書いた「生かされて」(“Left To Tell” PHP出版)という本を読んだ。1994年、ルワンダで起こったフツ族(同国人口の85%)によるツチ族(同14%)大虐殺事件は、百日で百万人が殺されるという凄惨なものだった。ツチ族のイマキュレーさんは、生き残りはしたが、自分の両親と兄姉、友人ら、そして住む家も失った。彼女の家族を惨殺したのは、同じ村の同じ学校に通ったフツ族の級友や教師、隣家の人たちだった。町や道路には、おびただしい死体が転がった。

彼女が生き残ったのは、フツ族の牧師宅の「隠しトイレ」に匿われたからである。91日間、狭いトイレに女性7人が閉じこもった。血に飢えたフツ族の殺人鬼たちが、何度も牧師宅を捜ししたが、見つけらなかった。奇跡としか言いようがない。

このような体験をしながらも、彼女は、聖書の教えの通り、敵を「赦す」ことを生きるテーマにした。一度は赦したつもりになったが、酷い殺され方をした兄の死体を墓で見たとき、怒り、憎悪、復讐心がぶり返してきた。それでも、赦すことが彼女の決意だった。

事態が急転し、安全になった彼女は、自分の両親を殺した男と対面した。男は彼女の幼馴染の父親で、彼女の命も狙って探し回っていた殺人鬼だ。それを彼女の父の同僚が捕らえて、彼女の前に連れて来たのだ。その憎き男に対し、彼女の口から出てきた言葉は、「あなたを赦します」だった。父の同僚は彼女に逆ギレした。「君の家族を殺したやつをなぜ赦すんだ」。それに応えて、彼女はさらに驚くべきことを言う。「私には、赦ししか、彼に与えるものがないんです」。

この赦しが彼女を救った。心の癒しには時間がかかったが、2年後には人を愛する力が戻ってきた。結婚し家庭を築くこともできた。難しい赦しだったが、「赦した」という事実が、その後の彼女を幸せにしたのだ。赦せないなら、いつまでも過去の悪夢を背負っていくしかない。怒り、憎悪、復讐から、何の良きものが出てこよう。しかし、赦しは解放の力である。キリストが私たち与えてくれた力である。