死から生の世界へ

地球のどこかで砂嵐が吹き荒れているとき、私たちは、穏やかな芳しい風が吹き、一斉に草木が芽生える季節を迎える。氷に閉ざされた南極が氷点下60度のブリザードが襲われているとき、私たちは打ち続く熱帯夜に苦しむことになろう。未知の特殊な生命体が深海や洞窟の中で、密かで微かな命をつないでいるとき、私たちは数え切れないほどの生物が命を謳歌する様子を楽しむ。地球は、一切のことごとを同時に受け付けている。狭い地球であっても、全く正反対の「諸世界」が並行して現象しているのだ。

私たちは、この地上に生まれたものは例外なく、次々と死んでいく現象を見ている。生まれては死んで、もう帰っては来ない。常に生から死へと流れていく。この流れは変わらない。それが「罪=死の原理に支配された世界」である。そう聖書は語る。

 しかし、聖書はもう一つの世界、「いのちの原理に支配された世界」が同時に存在していることを教える。それは、死んでいたものが一斉によみがえる世界だ。その世界を、神の子キリストが、自らの死と復活で、もたらされた。私たちは、キリストを信じることによって、「死が支配する世界」から「いのちが支配する世界」に移された。
 「あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。あなたがたは罪によって・・死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました」(コロサイ2・12、13)。

 天地の創造主は、正反対のことが同時に起こることを許される。今、春を迎え、生き物が死んでは生まれてくる自然界を静かに眺めていると、「復活はある」と素直に信じられるようになる。樹々に新芽が吹き出すと、復活があるからこそ、人生に起こる喜びも悲しみも、成功も失敗も意味をもつのだと確信できる。