日本人は、基本的にきれい好き、清潔好きの民族だと思う。
コンビニやスーパーマーケットの店内の明るさや清潔さは、外国に行ってみるとよくわかる。店の外装や床、商品のパッケージ、陳列と包装、どれをとっても美しい。美しくない店は敬遠されるか、低く見られる。
日本人が最も重視するのは、自宅のトイレだろう。お尻を洗う、消臭する、便座を温める機能の付いたトイレは、日本では当たり前だが、外国人には珍しいようだ。アメリカでは、日本のトイレが話題になっており、「Japanese toilet」をネットで検索すると、日本のトイレを紹介する動画や記事がいくつも出てくる。そこでは、「紙でふかなくていいから清潔」と、賞賛の声が上がっている。
しかし、日本人が好きなのは、単なる見た目の美しさのことだ、と批判される。
ところで、キリストは、見かけはきれいだが内側は醜いことについては、痛烈に叱責されている。パリサイ人たちについて、こう言われた。「おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいだ」(マタイ23・27)。「口から出るものは、心から出て来る。・・・これが人を汚す」(15・18、11)。外から美しく見えればいいのではない。中からそうでなければならないのだ。
ペテロもこう語る。「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです」(Iペテロ3・3,4、パウロは、Iテモテ2・9,10)。
心を磨けと、日本人もよくいうが、重要なのは何で磨くかだ。私たちは、内住される聖霊様の声に従おう。聖霊様は最高にきれい好きな方だから、私たちに罪を悟らせ、何度でも悔い改めに導かれる。