賞味期限

昔むかし、食料品に賞味・消費期限の表示はなかった。期限は、「自分で決めるもの」だった。自分で臭いをかぎ、少し口に入れて、異常なければ食べた。餅に青カビが生えても削って食べた(ペニシリンの原料だと言われた)。私は今も、だいたい自分の鼻と舌と経験で判断して食べる。賞味期限の切れたものを食べて、おなかを壊したことはない。

以前、日本人老若男女で、タイの山岳地帯に住む少数民族の村に滞在した。私は村の「万屋」でアイスキャンディを見つけて買った。それは霜の重みで変形し、包み紙も変色していた。賞味期限は記載されていなかったが、私は口に入れて大丈夫と判断した。私が食べたのを見て、一人の若者も買った。「自分で判断しろ」、いや「食べるな」と言ってあげればよかった。私は平気だったが、彼はおなかを壊して病院行きになった。

そんな私もバンコクのレストランで、禁じられていた海産物をうっかり食べてしまった。舌が素通りさせたのだ。食べた直後に気がついて、腹痛を覚悟したが、何も起こらなかった。若者たちは腹痛や発熱のために税関で足止め食ったのに、同年代の人はおおむね元気だった。貧しい田舎育ちで、「雑菌」で鍛えられた私には免疫力があるのだと感謝した。

時代は裕福で過保護になり、判断力、強靭さを失い、傷つきやすくなっている。弱体化しているのは体よりも心のようだ。今からでも、心を「雑菌」で鍛える意識をもちたい。主から来たものかを見極める霊的洞察力と、傷つかない心の免疫力を育てたい。いわれのない侮辱、きつい言葉、拒絶、誤解を受けたときは、「雑菌」とみなし、鍛錬の材料として喜ぼう。いつも「罪人たちの反抗を忍ばれた方のことを考え」、元気を失わないようにしよう(ヘブル12・3)。患難さえも喜ぼう。「それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」からだ(ローマ5・3、4)。