人生には、ドキッ、ヒヤッとさせられることがたびたびある。
アメリカに駐在していた時のことだ。家族と友人で、カリフォルニア州のランキャスターにポピーの群生を見に出かけた。噂に聞いていたとおり、なだらかな丘と平地がオレンジ一色に埋め尽くされて、燃えるようであった。
私たちは車を路肩に止めて、ポピー畑の中に入って行った。道などない。花の列もない。妻は、とある一株の前にしゃがみ、花びらをつぶさに見入った。私はその右側に立って、周囲を見渡した。と、私の耳にシャーシャーという音が流れ込んできた。音の方を見ると、なんと妻の背後1mのところに、ガラガラヘビがとぐろを巻いて、今にも飛びかからんばかりではないか。映画やテレビでしか見たことのない、あのガラガラを立てて振動させている。私は息を飲んだ。妻は気づかない。私は驚かせないように、「黎子・・」と声をかけた。ところが、妻は無造作にむくっと立ち上がってしまった。「あっ」と緊張した瞬間、ヘビはさっととぐろを解き、あわてて穴へと逃げ込んだ。思ったより敵が大きかったからだろう。
妻が助かってほっとしたが、半ズボンの子どもたちは畑の中を走り回っている。私は、すぐに畑を出るように叫んだ。踏んづけたらおしまいだ。祈る思いだった。
無事に車に戻り、驚きと笑いで終ったが、咬まれていたらと思うとぞっとする。
ところで、警告はなかったのか。あった。所々に「ガラガラヘビ注意」の看板が立っていた。それを見ていないわけではなかった。しかし、真剣には受け止めていなかったのだ。
警告は警告である。無視すれば、命に関わる。私たちは聖書を読むとき、処々にある主の戒めと命令をどう受けとめているだろうか。軽く考えてはならない。悔い改めなければ、「きょう、私はあなたがたに警告する。あなたがたは必ず滅びる」(申命記8・19)。ノアの時代、ノアだけが、「まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り」(ヘブル11・7)、洪水から救い出された。そのことに心を留めよう。