今年も教会ビル2階にツバメが巣を作り、5羽の雛が育って巣立って行った。東京郊外とはいえ、5羽も育てるには、餌探しに苦労したことだろう。教会員や子供たち、ポポラマーマのお客さんたちに、毎日見守れ、応援されて成長した。その成長の日々を得意げに語り合う人たちもいた。ちょっとした人気者だった。
しかし、あのツバメたち、今年も当教会員の助けなしには、無事、巣立ちの日を迎えられなかったはずだ。毎年、何度も5階の廊下に迷い込む彼らを、教会員が助け出しているのだ。
考えてみると、ツバメという鳥は、民家の軒下など、わざわざ人目につくような場所に巣を作る。まるで最初から人間の温かい目と助けを期待しているかのようだ。他の鳥は隠れた場所や人の手の届かぬ所に巣を作る。ツバメは不思議なほどに、人を恐れぬ鳥だ。
さて、先週、郷里の母に電話すると、ツバメが例年通り玄関に巣を作った、ということであった。私の郷里は過疎地で、老人ばかりになった寂しい村である。電話するたび聞かされるのは、筍はイノシシに掘り起こされて全滅、ジャガイモも壊滅、柿はサルに食い尽くされた、黒豆は鹿で全滅、稲も食い荒らされている、などなどの話である。そしていつも「育てる意味がない」という結論で終わる。ところが、今回の電話では、「ツバメの雛が全部食われてしまった」というショッキングな話を聞かされた。「何に食われたの?」「蛇に。」近くの3件の家でも同じことが起こったという。
私が子供の頃、家の周辺にはいつも子どもが遊んでいて、ツバメの巣を見守っていた。青大将が姿を現せば、みんなで追い払ったものだ。しかし、その子供が村にはもういない。
ツバメは人の助けなしには子育てできないのだ。春に日本に来て、人の助けを借りて子育てし、秋には南に去る。雛を失った親鳥は、どんな思いで帰って行くことか。
それでも来年、彼らは必ず戻って来て、巣作りするはずだ。今年のことは忘れて。