世界を変えるレベルか

今年はプロテスタント日本宣教150周年で、横浜で記念大会が開催されたが、8年後の2017年には、ルターの宗教改革ハーフミレニアム(500周年)を迎える。その年が近づくにつれ、世界規模で伝道集会や記念祝典が企画されることだろう。

全世界のクリスチャン人口はプロテスタントだけで、統計上5億を数える。しかし、その多くは信仰が生温く、この世と調子を合わせて世の人と変わらぬ生活をしているのだろう。そうでなければ、現在の世界がここまで堕落してはいないはずだ。

そこで、自分の信仰について考えてみたい。今、世界中のクリスチャンが、自分と同じレベルの信仰と熱意をもっているなら、果たして世界はよくなるだろうかと。自分の信仰は世界に何らかの影響を与えるほどのレベルに達しているのだろうか。

そもそも、世界を変えるほどの信仰とはどの程度のものなのだろう。
150年記念礼拝で、オンヌリ教会のハ・ヨンジョ牧師が「私は体が弱く宣教師にはなれなかったので、宣教師を送り出す教会を建てることに命をかけた。その結果、20年で千人の宣教師を送り出すことができた」と語っておられた。師は慢心創痍の中で、韓日中三ヶ国語三チャンネルのキリスト教衛星放送を創始しされた。それだけでも、まさに世界に影響を与える信仰である。師が繰り返し「命がけ」を強調しておられたのが印象に残った。

確かにクリスチャンが命をかければ、世の中は確実に変わっていく。では、私たち個人個人にとって、命をかけるとは具体的にどうすることなのだろう。日常生活から離れたところで大きな事を試みることなのだろうか。いや、むしろ日常生活の小さな事から始めるべきなのではないかと思う。今日、命がけの信仰で何かをすることを考えたい。誰かのために祈る。聖霊を求めて祈る。福音を語る。愛を表す。忍耐する。御言葉を覚え続ける。すべてのことに感謝する。たとえ小さな目標でも命をかけて行ううちに、そうすることが当然になっていくだろう。やがて周囲に大きな影響を与えずにはおられなくなると信じる。