心のキャンバス

子供の心のキャンバスは真っ白だ、などとは誰も思わないだろう。物心がつき、自分の意志で何かを描こうとする頃には、心のキャンバスにはすでにいろんな色の絵の具が塗りたくられている。親から受け継いだ遺伝子や、時代や社会や家庭などの環境の色で、しっかり画き固められている。

しかも、キャンバスの素地は決して白なんかではない。聖書の視点から言えば、罪の緋色(赤)である。

そして、大人になっても、自分の純粋な意志で選択できるわけではない。日本の学校教育で染められた感じ方、発想、思考回路が出来上がっており、何が真実で偽りか分からない情報に取り囲まれ、時代の流れや社会の風潮に翻弄されることになる。

学者たちは、人生は遺伝子と環境という二つの因子で大方は決まると説く。人間の自由意志といっても、結局は社会環境と受け継いだ遺伝子に条件付けられているのだという。「努力が報われる」とは信じられなくなった大学生が増えるのもうなずける(先月8月20日発表の全国大学生アンケートで「努力は報われると」という学生は46%)。

こう聞かされると、一体、自分の意志とは何なのだ、と言いたくなる。
しかし、それでも私たちは信じる。私たちを全く新しい人に変える創造があると。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(?コリ5:17)。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2・20)。

私たちはこの約束を信じてクリスチャンになったのだ。私たちの人生の主導権を持つのは、遺伝子でも環境でもない。キリストによって受けた聖霊である。聖霊は、遺伝子と環境という「肉」に打ち勝つ力を発揮される。そのことを、私たちの人生を通して表したい。