恵みと忍耐

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ロマ5・3〜5)

 まず、この言葉を信じましょう。そして、ぜひ暗記してください。暗記している方は実践してください。暗記している人でも、患難に見舞われると、それを忘れたかのように不信仰に陥る場合があります。「頭では分かっているんだが・・・」と言われる方は、心でも体でも分かりましょう。

悪い習慣や欲望や怠惰や不摂生は、何もしなくても身につきます。いや、何もしないから身についてしまいます。黙っていても育ちます。いや、黙っているから育つのです。罪の性質は、学習する必要も忍耐する必要もありません。放っておけば自然に実を結びます。

 しかし、良い習慣や愛や優れた品性は、学ばなければ身につきません。訓練され忍耐しなければ、実を結べないのです。私たちは、その努力を軽んじてはなりません。「学習、忍耐、訓練がなくても、神の恵みだけで優れた品性を養える」とは、聖書のどこにも書いてはありません。そんな甘い考えは捨てましょう。ペテロもこう激励しています。

 「あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい」(IIペテロ1・5〜7)。そうすることで、役に立つ者、実を結ぶものになるのです(9節)。

「神の恵みが注がれたら、学ぶ気持ち、訓練を受ける気持ち、忍耐する気持ちが出てくるだろう。それまで待とう」などと考えないでください。恵みは、自分で信仰の決断をし、実際に一歩を踏み出す人に注がれるのです。その人は、自分にはできないはずのことができ、忍耐できないはずのことができたことを驚く日が来るでしょう。それも恵みです。