イスラエルのユダヤ教正統派の大半は、「コシェル携帯電話」しか使わないのだそうだ。
「コシェル」とは、ユダヤ教の律法に適合しているものを指す。血抜きの肉製品や、安息日にはでない日に収獲されたぶどうから造られたワインなどに、コシェル認定の表示が付けられている。
イスラエルでは、5年ほど前から携帯電話にもコシェルが出始め、今や、正統派ユダヤ教徒の街メア・シェアリームの店には、その「認定携帯」がずらりと並ぶようになったそうだ。コシェル携帯の基本は通話のみである。メール、カメラ、インターネットの機能は付いていない。正統派の人たちはテレビを見ない。倫理に反する映像を不意に目にする危険があるからだ。インターネットは猥褻なサイトにアクセスする恐れがある。メールは、面と向かって言えないことでも文字にしてしまう可能性がある。コシェルなら安心だ。また、コシェル専用の電話番号があって、着信すると相手がコシェルかどうか判別できるので拒否もできる。正統派のユダヤ人は人口の1割程度だが、携帯の多機能化と利用者の低年齢化に伴い、正統派ではないユダヤ人市民の間でも悪影響に対する不安が高まっているという。
主イエスを信じる者は、律法主義から解放され、主の恵みに生きる。「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました」(ガラ 5・1)。とはいえ、世俗社会の誘惑や攻撃に、無防備であってはならない。愛と自由の御旗のもとに、自分のたましいを危険にさらしていいわけではない。「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」(IIコリント12・4)。罪とは言い切れないことであっても、何が益になり、危険なことか、判別して選択する賢さがなければならない。正統派ユダヤ教徒は、律法遵守で窮屈に聖さを守る。それでは実も殻も一緒に捨てることになりかねない。しかし、私たちはキリストを砦として守る。