「再発見」

「豊後高田市の中心商店街は、江戸時代から明治、大正、昭和30年代にかけて、国東半島一の賑やかな町として栄えていました」(大分県豊後高田市観光協会「昭和の町」から)。

 ところがその後は、定期航路と鉄道が廃止となり、若者は流出し、商店街もお決まりのシャッター通りと呼ばれる町になりました。商店主たちはなすすべなく、古臭い看板の上にしゃれた現代風の看板を被せるぐらいのことしかできませんでした。そうして無策のまま30年が過ぎ、町は消え去る危機にありました。

こんな町は、どうすれば再興できるのか。案外、簡単なことでした。古い時代に戻したのです。新しい看板を外せば、戦前の右始まりの看板が残っていました。

 「昭和30年代以前に建てられた古い建物が7割も現存することから『昭和』にスポットをあて、懐かしく、いとおしい昭和の街並みを再現し、まちおこしに取り組んでいます。

 ところで、昭和30年代というのはどんな時代だったのでしょうか。経済的には貧しかったけれど、どこか賑やかで、 隣近所が肩を寄せ合いながら、助け合いながら生きていました。そこそこ幸福で、心に余裕がありました。・・・時は人や物を変えていきましたが、変わらなくてよかったものがそのまま残されています。懐かしさにしてしまったものが、ここにはまだ大切に残っているのです」(同)。

 ヨシヤ王の時代(BC640〜609)、神殿工事中に世紀の大発見がありました。およそ3百年ぶりに「律法の書」が見つかったのです。ユダの人々に主の契約の書が読み上げられ、それを機に悔い改めが起こり、エルサレムから偶像が一掃されました(II列王22、23章)。いわゆるヨシヤの宗教改革です。

私たちは、数千年来変わらない聖書に記された真理に立っています。「そんなのは古臭い。役に立たない」と嘲しる人はいるでしょう。しかし、人間が自分の知恵と欲望で作り上げた文化は行き詰まり、将来が見えなくなってきています。必ず、聖書が必要とされる時が来ます。この世の賢さに騙されてはなりません。不動の真理に立ち続け、世の人々に対し「道標」の役割を果たしましょう。