月刊「JAFMate」3月号に、宮城県の主婦50歳が行った「いたずら実験」が掲載されていました。
「主人がカーナビを付けたので、ちょっといたずらに心で、『ナビの指示にあくまでも逆らったらどうなるのだろう』と思い、実験してみました。
ナビが『右折』といえば左折、『ここを曲がる』と言ったら直進と、ことごとく反対のことをしてみると、最後にナビは完全に沈黙してしまいました。
そのことを得意げに主人に話すと、『買ったばかりのナビが壊れたらどうする!』と怒られ、今度は私が沈黙でした。」
カーナビは、その指示を運転手が無視しても、忍耐強く次善策を探し出し、声を荒げず、教えてくれます。不従順な運転手を決して叱りません。しかし、カーナビにも限界があるようですね。「もう知らん、勝手にせい」とは言わず、ただ案内を停止するのです。沈黙の抗議でしょうか。暇なら一度はやってみたい、興味深い実験だと思いました。
しかし、主の愛を試みてはなりません。私たちは、主の豊かな忍耐と寛容を試すようなことをしてはいないでしょうか。その結果がどうなるか、旧約聖書がすでに教えてくれています。イスラエルは主に反逆するたび、預言者による警告、自然災害による警告、他民族への裁きによる警鐘、沈黙という警告を受けてきました。しかし、それをことごとく無視した結果、国を滅ぼし、祖国から追放されることになったのです。
絶対に聖霊に逆らってはなりません。聖霊は私たちを悔い改めに導いてくださる方です。「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません」(マタイ12・31)。