マタイ11・17 2010 年 5 月 9 日 QT180(今日のことば) by buenoueno. 「笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった」(マタイ11・17)。 「サマリヤの女」は、疚しい生活をしていても、打てば響く心がありました。それゆえ、キリストとのただ一度の出会いでも、「永遠のいのちへの水」を受け、「真の礼拝」を悟ることができたのです。霊的鈍感は罪です。主の愛と奇跡に感動し、賛美で応答する柔軟な心を養いましょう。 前の記事 次の記事