「上ばかり見ていたら」100627

長野県野辺山で、数日をひとり過ごしてきました。新緑の木々に囲まれ、周辺を1万歩近く歩きまわっても、誰ひとり出会うことのない環境でした。連日の曇と雨でしたが、目の前に八ヶ岳の雄姿を望むことができました。

朝からカッコウ、トッキョキョカキョク、ピーチク、ホーホケキョ、ピロロ、ルルルなどの鳴き声がひっきりなしに聞こえてきます。午後になると、まだ合唱の整わないヒグラシの声が騒がしくなります。それに消されまいと、カエルや聞き慣れない鳥の声も存在を主張してきます。また、鹿ではないかと思われる鳴き声も山中から届いてきました。

そうした鳥やセミを見てみたいと、毎日のように木々の梢に目を凝らしながら歩きまわりました。アシジのフランチェスコは神の言葉を語ると、小鳥たちがそれを聞きに集まったといいます。しかし、私が近づくと、みな鳴くのを止めてしまいます。じっと黙って身動きせずにいても、まるで我慢比べのように、彼らも身を潜めています。私の目が悪いのか、あるいは彼らが保護色で守られているせいなのか、ついにただの一度も、飛び立つ姿さえも見られませんでした。

何だか、主を求めて祈っても、何の応答もなく、臨在が感じられない時のような、もどかしさがありました。

ところが、小一時間歩いた夕方、二頭の鹿とはち合わせてしまいました。ハッと息を呑みました。上ばかりを見ていて、目の前の大きな動物に気がつかなかったのです(熊やイノシシでなくてよかったです)。なんという野生の姿でしょう。本当に出会いたかったものに出会えたような気がして、ちょっと興奮しました。

主は、私たちが思いもしないときに、もっと大胆に、大きな姿で、しかも目の前に現れてくださる方なのだと思い、嬉しくなりました。主は上だけでなく、側におられるのです。