邦題『夢の香り』(Scent of a Woman)という映画があります。名門高校に奨学金で入学した苦学生チャーリーは、同級生たちによる悪質ないたずらを目撃します。校長はチャーリーに犯人の名前を言うなら名門大学推薦、言わないなら退学という二者択一を迫りますが彼は「言わない」道を選択しました。クライマックスは全校集会です。校長の前に立たされた苦境に陥ったチャーリーを援護するために、バイト先の気難しい盲目の退役中佐が立ち上がります。この元軍人は校長に向かい、ぞんざいな表現で長々と訴えました。
「私はこれまで何度も人生の岐路に立った。そのたびに、どの道が正しいか常に判断することができた。ただの一度も判断できなかったことはない。しかし、一度もその正しい道を選ぶことができなかった。なぜか。その道はあまりにもクソ難しかったからだ。しかし、この生徒はその難しい道を選んだ。彼にその道を行かせてやろうではないか」。
たいていの人は、正しい道と分かっていても、いろんな言い訳を用意して、その道を選びません。本当は、ただ困難で厄介で面倒な人生になることを恐れるからです。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(マタイ7・13,14)。
私たちも、キリストの教えを知っていながら、広く安楽な道を選んできたということはないでしょうか。たとえば、「汝の敵を愛せよ」と命じられていますが、最初から無理だと考えていないでしょうか。敵どころか、自分とは相性が合わない、考え方が違う、自分より優れているという程度の人さえも、気に食わないといって愛さないで、悪く言うということはないでしょうか。
困難だけど、主の御前に正しい道を、今週一つ選び取る決心をなさいませんか。その人を聖霊が助けてくださいます。今まで知らなかった恵みを体験することになるでしょう。