冬枯れの美しさ

秋が深まり、枯葉が舞うようになりました。私は、木々が葉を落とし、山が紫色に煙る初冬の景色が好きです。夏の間、緑の葉は、幹が太く大きくなるために、花を咲かせるために、そして多くの実を結ぶために、大活躍しました。しかし、今はその役割を終え、枯葉となって、地を埋め尽くしていきます。そして、朽ちて、腐って、軟らかな土を作り、来年のための肥料となるのです。冬枯れの荒涼とした自然は、何と美しい姿をさらしていることでしょう。

 枝を張り、数え切れないほどの葉を茂らせ、多くの実を結んだ木々が、葉を落として裸になっていくのは、すべてを主にお返しして、へりくだっている姿を思わせます。そして、このへりくだった姿勢が、冬の風雪に耐えていくのには最適なのです。

 緑の葉は、地球にある水と二酸化炭素を材料に用い、太陽から受ける光の恵みを、炭水化物に変えて、地上に定着させていきます。光合成です。それを毎年毎年、従順に繰り返して生きています。この植物の働きが地球環境を整え、すべての動物の生きる糧を生み出しているのです。まるで動物に食べてもらうために、一所懸命光合成をして生きた葉っぱの群れが、けなげに見えてきます。

 クリスチャンも、木の葉と同じ謙遜と従順を示したいと思います。神様からいただいた体と能力と賜物を用いて、神様から注がれる恵みを一所懸命に「かたちあるもの」に定着させていきましょう。

4000年前、アブラハムは主から、「地上のすべての民族はあなたによって祝福される」(創世記12・3)と約束されました。私たちは信仰によるアブラハムの子孫です。生きている間は「緑の葉」として神の恵みを蓄えて人々を祝福し、死んでからは「枯葉」として人々の信仰の肥やしとなりたいと思います。