5.捨てなければ得られないものがある
アブラハムは独り子イサクを全焼のいけにえとして主に捧げることを命じられ、黙々と従いました。父は子を捨てて、祝福の契約の継承者として、わが子を取り戻しました(創世記22)。アブラハムがイサクに執着して主の命令を拒絶し、主に捧げることがなかったら、逆にイサクを永遠に失っていました。
父なる神も御子イエスを十字架に捨て、死からよみがえらせてご自身の栄光を現されました。子なる神キリストは、神としてのあり方を捨てて人となられ、十字架にいのちを捨てられ、そして多くの罪人を「神の子供」として勝ち取られました。「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました」(ガラ 1・4)。そして、ご自身は神の右の座に着かせられました。
まず自分の最も大切なものを主のために捨てなければ、主の偉大な計画を実現することはできず、主の栄光を現せず、最も大切なものを真に取り戻すことはできないことを、聖書は語っているのです。
逆に、最も大切なものを永遠に所有したなら、すべてを捨てられるのではありませんか。真実の愛を知ったら、偽りの愛や慰めはもう要りません。本物を手に入れたら、偽物は惜しむことなく手放すでしょう。
パウロはこう言っています。「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」(ピリピ3・8)。
偽物に執着せず、惜しみなく捨てましょう。偽の愛、偽りの友情、見せかけの希望、偽りの保証は捨てなければ、真実なもの、本物を獲得することはできません。刹那的ものは捨てなければ、永遠を得ることはできないのです。偽物と本物の両方を持つことは出来ません。今、生活の中に入り込んでいる「捨てるべきもの」を見定めてください。真実で、永遠で、本物の幸いを受けるために。