佐藤義清(のりきよ)は文武に優れ、美男子で、平清盛に将来を嘱望された人物でした。ところが、崇徳上皇の妃待賢門院と禁断の恋の陥り、それが発覚してしまいます。彼は恋も栄達の道も捨てて、出家を決意します。そのときに詠んだ歌がこれです。
「身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ」
漂泊の歌人「西行」の誕生です。(今夜のNHK大河ドラマ「平清盛」のストーリー。出家の理由は諸説あります)。
歌の意味は、「自分を捨てた人というのは、本当に人生を放棄したことになるのだろうか。いや、それで救いを得るのだから、捨てているのではない。自分を捨てない人こそ、実は自分の人生を放棄しているのだ」。説明すれば、そんな長たらしい文を、歌人は三十一文字で言い表わしてしまうのです。こうして和歌(短歌)にしたほうが、簡潔で、印象深く、覚えやすいですね。
この歌は、マタイ10・39でキリストが語られた真理と表現の仕方には通じるものがあります。
「生命いのち得る者はこれを失ひ、我がために生命を失ふ者はこれを得べし」(文語)(自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします)。
キリストの真理表現も実に単純で、心に突き刺さります。意味さえ悟ったなら、長い説明文よりも、端的でリズムの良い表現が勝ると思います。理屈を捏ね回して多くを語ることは、やはり日本人には向いていないのでしょう。
ただ、西行の時代は、キリストが伝わる400年前だったのが残念です。結局は、伊勢神宮でこんな歌を詠んでいます。
「何事のおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」