神の存在の証明と確信

人が人になるための最小限の遺伝子情報をヒトゲノムといい、約30億の塩基から成っています。その塩基は、アデニン、チミン、シトシン、グアニンの4種類しかありません。その並び方は全部で4の30億乗(0が18億個並ぶ)ですが、そのうちから選ばれたたった一つの組み合わせだけが人間になるわけです。

「だから、物質から命が偶然に生まれたというのは、私は非科学的だと思っています。だれか選ぶ人がいなければ、こんなことは起こりません。ここに私たちが存在しているというのは奇跡です。私は科学の現場からそう感じています」「30億という科学の文字は、1冊1000ページ(1ページ1000文字)の本3000冊に相当します。・・・30億の文字というのがどれくらいの重さだと思いますか。・・・2000億分の1グラムです。2000億分の1グラムに、どうして3000冊分の情報が入ったのか。アンビリーバブルでしょう」と、先週も話題にした筑波大名誉教授村上和雄さんは語ります(小川洋子『科学の扉をノックする』集英社)。

聞き手の小川さんも、「(詩や小説や音楽で使われる頼りなげな奇跡と違って)科学の現場から発せられる“奇跡”という言葉には重みがある。・・・科学者が口にした途端、それは何ものにも汚されない永遠の強固さを発揮する。この世に確かに真実の奇跡があることを、伝えてくれる」と書いています。

 

だからと言って、私は、この奇跡が神の存在を証明したと考えるわけではありません。科学は神の存在を証明することはできません(神が存在しない証明もできませんが)。しかし、科学は、全知全能の神がおられることを確信する材料を提供することはできます。村上さんが語る「奇跡」もその一つです。

クリスチャンは、体験や理屈で神の存在を証明することはできません。しかし、神がおられることを確信させる材料を、私たちの生き方や体験で人に示していくことはできます。そのほうが「言葉での説明」よりも効果的な伝道方法だと思います。時間はかかりますが。