今日は、モーセが危機に際し、どのように主に嘆願しているかを学びます。
1.神の約束に訴える(13)
主はイスラエルの先祖アブラハムと、「無条件に祝福する」という契約を結ばれました。主は契約に忠実な方ですから、モーセはいつも契約を持ち出しては訴えました。イスラエルが罪を犯したときは、「あなたのしもべ、アブラハム、イサク、ヤコブ(との契約)を覚えてください。そしてこの民の強情と、その悪と、その罪とに目を留めないでください」(申 9・27)と言って、赦しを嘆願しています。私たちも聖書に記された主の約束に立って主に祈りましょう。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」(Iヨハネ5・14、15)。主の約束は必ず成就するという「向こう見ずな信仰」で祈ればいいのです。
2.神の憐れみに訴える(11、12)
「主は、あわれみ深く、情け深い神」(出エジ34・6)です。人の弱さを憐れんでくださいます。ダビデは詩篇で、「主よ。私をあわれんでください。私は衰えております」(6・2)と、随所で訴えています。福音書でも、苦しむ人々がキリストに向かい、「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください」と、声を張り上げています。パウロはこう言います。「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです」(ロマ 9・16)。私たちも、自分の惨状を訴え、主の憐れみに信頼して、「こんな罪人の私をあわれんでください」(ルカ18・13)と、心を空にして祈りましょう。
3.神の「聖なる御名と栄誉」に訴える(11、12)
主は御名が侮られることを放置せず、ご自分の栄誉のために行動なさいます。「わたしの名は一日中絶えず侮られている」(イザヤ52・5)。その御名を回復するために、主は全能の御手でご自分の民を救い出されます。「わたしは、わたしの名のために、怒りを遅らせ、わたしの栄誉のために、これを押さえて、あなたを断ち滅ぼさなかった」(イザ 48・9)。それゆえ、私たちクリスチャン(Christian)はこう祈りましょう。「私はあなたの御名(Christ)を負っています。どうか、あなたの御名が汚されないように、私に恥をかかせず、あなたの御名を高めるために、私に力を与えてください」と。