ヤコブの手紙(3)「忍耐と完全」(1・4)

「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります」。

主イエスは、「・・・あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」(マタイ 5・48)と言われました。肉の弱さを持つ人間であっても、完全を目指し、完全に近づいていくことはできます。どのように完全を目指すのか。今日の言葉にそれが示されています。「忍耐を完全に働かせる」ことによってです。

そんなことは無理だといいながら、私たちは「完全な忍耐」に強い憧れをもっているではありませんか。かつて驚異的な視聴率を叩き出した連続ドラマ「おしん」は、完全な忍耐を働かせて人生を切り開いた物語でした。あんな忍耐はできないからこそ憧れるのかもしれませんが、その憧れは大事にすべきだと思います。

忍耐を貫徹するには、何のために忍耐するのかという理由付けが不可欠です。目的のない忍耐はただ苦痛です。主は私たちを神の国のための霊的戦いに召し出しておられます。神の国の祝福を受けるために忍耐するのです。苦しみのときは、忍耐するために具体的な目標を作ることが重要です。将来に向けての目標だけでなく、すぐ達成できる目の前の目標という二本立ての目標にすべきだと思います。忍耐が続きやすくなります。

また、忍耐を強いられる時、背後に主がともにおられて、助けてくださることを信じましょう。ヨセフは理不尽にも兄たちに人買いに売られましたが、奴隷主のポティファルに誠実に仕え信頼されました。しかし、その女主人に濡れ衣を着せられて投獄されてしまいます。ヨセフはその不運な歳月を耐え抜きました。主がともにおられたからです。そして耐え抜いた末に、エジプトの宰相となり、その苦難には主の偉大な計画があったことを知りました。主に信頼する忍耐は、最後には報いがあります。