「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます」。
①神の知恵の欠如は人間の知的理解力とは関係ない
神の知恵は、人間の知的理解力の問題ではありません。「神の知恵が欠けている」という状態は、知的理解力が高い人にも、自分は低いと思う人にも起こります。
②神の知恵はへりくだった心に与えられる
神の知恵の受け皿は「打ち砕かれた魂」です。「へりくだった心」でしか、受け取れません。知的能力が高いからといって、神の知恵を理解しやすいというわけではないのです。なぜなら、神の知恵は人間の知性には愚かだからです(Ⅰコリント1・18、25)。
③神の知恵は必ず行いに現れる
神の知恵は必ずその人の行いに表れます。神の知恵は行いと切り離せません。神の知恵が与えられているかどうかは、行いで分かります。神の知恵を持っていると言っても、それが行いには現れていないなら、実は持っていないのです。愛はあるが、行いに現れなければ愛がないというのと同じです。ヤコブは、信仰も知恵も愛も行いとして生活に反映されていないなら、それらは「死んでいる」と表現しています。
④神の知恵は求める者に惜しげもなく与えられる
自分の信仰生活に神の知恵がほんとうに欠けていると感じ、真剣に神に求める人には必ず与えられます。神の知恵がないのに求めて祈らないのは高慢です。口では「自分は知恵が足らない」と言いながら、聖書を学びもせず祈りもしないなら、それは見せかけの謙遜です。「だれにでも惜しげなく」という約束を信じて求めましょう。神の知恵で生きる人生を築いていきましょう。