ヤコブの手紙⑥「誇り」 (1・9~11)

「貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。

富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。太陽が熱風を伴って上って来ると、草を枯らしてしまいます。すると、その花は落ち、美しい姿は滅びます。同じように、富んでいる人も、働きの最中に消えて行くのです。」

 持っていないことで、卑屈になってはなりません。持っていることで高慢になってもなりません。両者とも正しい誇りをもつべきなのです。

怠惰ゆえの貧困でないなら、恥じることはありません。能力や知識が足りなくても、気後れすることはありません。キリストに選ばれ、愛され、「聖霊の宮」とされている「高い身分」にもっと誇りを持って生きましょう。その身分だけが、私たちの永遠の身分だからです。私たちはその身分において、「天にあるすべての霊的祝福」(エペソ1・3)を受けています。「それは天の御国が完成したときに受けるのでしょう?」いいえ、この地上で受けているのです。「天の御国は来る」のであって、行く所だけではありません。その祝福を味わうことを可能にしてくださるのが、私たちのうちに住まわれる聖霊様です。今、私たちが真剣に取り組むべきなのは、聖霊の力と豊かさを生活の中でもっと体験していくことです。癒し、和解、知恵、悟り、愛の回復、神の計画の成就・・・それが私たちの人生に起こります。それゆえヤコブは、「だれにでも惜しげなく・・・お与えになる神に願いなさい」(5)と命じているのです。

生まれたときから良きものを受けている人、努力して知識や富を獲得した人も、それは神の恵みであり憐れみであると認め、謙遜になりましょう。状況の変化や時の推移とともに、そうしたものは必ず失われていきます。失われる前に人と分かち合ってください。それが天に積む宝となります。そして、永遠に残る身分だけを誇りとして生活しましょう。