物事を悪いほうに悪いほうに考えるタイプの人がいます。たとえば、体の具合が悪いと、「癌か何かの重病かもしれない。親族にもそういう人がいた。私は働けなくなる。家族は困窮する。今住んでいる所を失う。私は精神を病むかもしれない(もう病んでいる)・・・」などと、ありもしないことを想像していくのです。
私もどちらかというとそういうタイプでした。この教会にも同じタイプの人がけっこうおられたので、以前「悲観クラブ」を作ったことがありました。すぐに解散しましたが、けっこう笑えるでしょ。互いの悲観度を笑い合うことが目的でした。
悲しみや痛み、不安や恐れの中にはまり込まない一つの方法は、哀れな自分を笑いのネタにするユーモアです。自分の深刻な事態を深刻に考えすぎて、深刻さに押し潰されないように、自分で自分をからかって笑うのです。悲観的な人は「落ち込み」の罠にはまりやすいところがあります。それをユーモアで破るのです。
「笑いにできる程度のことならいいよ」と思う方もいるかもしれません。しかし、二千年にも及ぶ迫害の歴史を背負ってきたユダヤ人は、虫けらのように殺される自分たちを笑い話にしながら、耐え抜いてきました。特に、19世紀後半から20世紀のロシアやドイツによる大量殺戮(ポグロム、ホロコースト)は凄惨を極めました。恐怖が彼らを極限状態に追い込み、心が無感覚になります。そんな自分を恐怖から解放するためにユーモアが作られたのです。それがユダヤジョークです。そもそもホロコーストとは燔祭(全焼にして主にささげるいけにえ)を意味します。古代、イスラエル人が、自分の罪の償いとしてささげていた家畜のことです(レビ1章)。現代は、自分たち自身が全焼のいけにえになるのです。ここにもペーソス(哀愁)の笑いがにじんでいます。
イスラエルには先祖アブラハム以来、「笑い」の伝統があります。アブラハムが百歳のときに生まれた独り子イサクの意味が「笑い」です。私たちもアブラハム、イサクの「笑い」の祝福を受け継いでいます。