自分の創造主を知った生き方

今年4月、ある大学の吹奏楽部の学生約50人が野尻湖の琵琶島にボートで行き、約20人が飛び込んで二人が死亡。7月には、高校生3人が広島市の「はつかいち大橋」からふざけて27m下の海に飛び込み、ひとりが死亡しました。こんなことで我が子を失った親は、怒りと悲しみをどう収めるのでしょうか。そう思うと、胸が張り裂けそうです。

最近、人の集まる所(テーマパークやコンビニなど)で、ただ人の注目を引き、驚かし、笑わせるためだけに、常軌を逸した行為、迷惑行為、危険行為をして写真に撮り、ネットに載せる大学生らが顰蹙(ヒンシュク)を買っています。なぜそんなに目立ちたいのでしょうか。心が空っぽだからなのだと思います。何も考えていないというより、人生自体が空虚になっているのです。心が空虚だと、人生はお遊び、冗談でしかなくなってしまいます。なぜ空虚になるのか。それは自分の創造主を知らず、創造主を恐れることがないからです。

「伝道者」は言います。「空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」「私は生きていることを憎んだ。日の下で行われるわざは、私にとってはわざわいだ。すべてはむなしく、風を追うようなものだから」(1・2、2・17、1~2章を読んでください)。

創造主を認めない人生とはそういうものです。学業にも仕事にも、人生にも「空虚」が浸透し、労苦し誠実に生きても、ふざけて死んでも、同じことなるのです。

それゆえ、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(12・1)。それが「伝道者」の結論です。自分の創造主を知れば、人生でなすべき大事が分かります。大事を心に秘めた人は、その実現のために自制し、無意味な事、些細な事、その場限りの事には決して命をかけませんし、おふざけで人生を台無しにもしません。

自分の創造主を知っている生き方をしましょう。人を驚かせたり感動させたりするために、嘘や誇張をする必要はありません。ただ主から受けた自分の分を正しく知り、聖霊に忠実な歩みをしましょう。