目の前に置かれた課題や問題を応急処置的に次々こなしながら、偶発的な出来事に振り回されるような毎日を送ってはいませんか。将来の希望やビジョンを追いかけているというより、いま対処しなければならないことごとに追いかけまわされて、「その場しのぎ」で切り抜けているという日々が続いてはいませんか。やっと時間ができても、悪習慣でかえって疲れるようなことをしてしまったり、その疲れでたわいもない夫婦喧嘩や家族喧嘩で時間を浪費したりして、「ただでさえ忙しいのに、いったい私は何をしているんだろう」と思うことがありませんか。
そんな「その場しのぎ」状態に陥っているとすれば、生活を整えなおすべき時です。いうまでもなく、一日の中心に「御言葉の学びと祈り」をおくことです。1週間の中心を主日礼拝に置くことです。その時間を惜しんで、問題の応急処置ばかりに心を注いでいるから、次々に問題が発生するのです。「御言葉の学びと祈り」「主日礼拝」を放っておいて、目の前の問題を「その場しのぎ」で解決しても、かえって問題は深刻化し、心にも体にも悪影響が出てきます。「だって、しかたがないじゃないか。主と交わる時間を後にしてでも、今解決しなければ、大変なことになる。」それで目先の解決になるかもしれません。しかし、大きなツケを、後に残すことになります。「その場しのぎ」は、主への反逆の一歩と心得た方がいいと思います。
「御言葉の学びと祈り」「主日礼拝」のために時間を取って、生活の中心においてみてください。「聖なるものと俗なるものとを区別し」(エゼキエル42・20)、聖なる時間を設けるのです。不思議に、一つ一つの事々が整えられていきます。聖霊が先に立って、すべてを治めてくださるので、私たちが今なすべきことがはっきりしてきます。将来に向けての計画が進み始めます。いつの間にか終わりの日が来て、応急処置的に、その場しのぎで、あたふたと、「自分の人生のまとめ」をするようなことになってはなりません。