アメリカ在住時代、我が家の息子たちは漫画『美味しんぼ』を熟読して、日本語を養いました。私たち夫婦も愛読していました。本物は手間ひまとお金とがかかること、本物に触れていなければ本物がわかる眼は養われないこと、などを物語るストーリーです。その漫画に登場する海原雄山(カイバラユウザン)は、実在の芸術家・北大路魯山人(キタオウジロサンジン)がモデルなのだそうです。魯山人は、陶芸家、書道家、漆芸家、画家、料理家、美食家など多様な能力を持つ芸術家で、『料理の第一歩』という本も書いています。
その中の一文を友人が送ってくれました。
「畑を耕し、野菜を植えようと思うが、何もしない。牛や豚を飼おうと考えながら、何もしない。料理をしようと思っても、やはりしないで米櫃(コメビツ)の米を生のまま食べる。いろいろと良いことをしようと考えるが、実際には何もしないで、目の前のものを食べる。既に女房は呆れて家を出て行った。食べるものがないので、自分の足を食べ、胴を食べ、手を食べてしまい、おしまいに考える頭と食べる口だけになってしまった。世の中には、こんな頭の大きい男がたくさんいる。」
「正しいこと、いいことを考え、間違ったことを少しも言わない人々がいる。そして一つも実行しない人間もいる。料理をおいしくこしらえるコツは実行だと思う。おいしい料理を作りたいと思う心と、おいしい料理を作るということは、似ているが同じではない。」
「考える頭と食べる口だけ」とは言えてるなあ、と思います。でも、そう思うだけなら、やはり手足のない「考える頭だけ」であることの証明になります。しかも、「食べる口」、いや「しゃべる口」も残っているから厄介です。
そうならないために、今日から何か一つ行動を始めましょう。「信仰は行いによって全うされる」(ヤコブ1・22)のであり、「行いのない信仰は、死んでいるのです」(26)。死んではいけません。