人間は宇宙の孤児ではない

16世紀、コペルニクスが地動説を提唱したことで、地球は宇宙の中心から、太陽系の一つの星という地位に転落しました。そして、私たちの住む銀河系には太陽のような恒星が1千億個もあることが分かりました。

さらに20世紀には、宇宙物理学上の三大発見がありました。第一の発見は、銀河系が宇宙なのではなく、宇宙には大小の銀河が千億から二千億ほどあるというものです。我々の銀河系はそのうちの一つ、しかも矮小な銀河に過ぎません。第二の発見は、宇宙はおよそ137億年前に、無の状態から突然の大爆発とともに始まり、現在の宇宙にまで膨張し、今も膨張しているというものです。いわゆるビッグバン説です。そして、1980年代に第三の発見がありました。それは宇宙自体が一つではなく、10の500乗個(もはや無限)あるというものです。私たちの宇宙に私たち人間が存在しているのは、生命が存在できるような条件が「たまたま」すべてそろったからなのだと説明します。

つまり、現代の宇宙物理学の大勢は、宇宙は神によって造られたのでも、人間のために存在するのでもないという結論なのです。こうして、人間は宇宙の無目的で無意味な存在になりました。先週のこの欄でジャレド・ダイヤモンドが「人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのこと」といったのは、この宇宙観に基づいての帰結です。そして、その考え方は一般の人たちにも浸透し、知識人たちも当然のように「人生には意味も目的もない」と説いています。「ただ、生きている間の目的だけは自分で考えて作りなさい、死んだらすべて消えるけれどね」というのです。そう言われても考え出せないから、刹那的な生き方をする人が増えているのだと思います。

それゆえ、「初めに、神が天と地を創造された」という、聖書の冒頭の宣言は重いのです。この宇宙には「宇宙の父」が存在するのです。人間は、刹那的な生き物でも、無目的、無意味な存在でもありません。この発見が人間を宇宙の孤児状態から救い出します。