復讐は不要

英国内の2000人を対象に実施された調査で、その52%の人が、現在、同僚や友人、上司になんらかの復讐を考えているという記事を読みました。最も好まれる復讐の舞台はフェイスブックやツイッターなのだそうです。そんな交流サイトができるまでは、人々は怒りの感情を抑制し、愚痴を言ったり空想の世界で復讐したりすることで収めていました。でも、交流サイトが感情をそのまま吐露することを容易にしたのです。相手と顔を合わせる必要もなく、怒りの言葉を書いてキーボードをぽんと叩けば復讐完了だからです。でも、復讐は空しいものです。復讐しても、後味は悪く、自分は何も成長しません。復讐を遂げて、いつまでも心がスッキリしたままなら、心の病気を疑ったほうがいいと思います。

あるユダヤ人の言葉です。「クリスチャンは、ユダヤ教(旧約)の神は怒りと復讐の神で、キリスト教(新約)の神は愛の神だという。どおりで、クリスチャンは、愛は愛の神に任せ、自分たちは復讐ばかりする。しかし、我々は、復讐は復讐の神に任せて、愛することに努める」と。クリスチャンに千数百年迫害されてきたユダヤ人ならではの皮肉です。でも、旧新約とも同じ神で、同じことを教えているのです。

レビ記にはこうあります。「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である」(19:18)。ダビデは、賢い忠告をしてくれたアビガイルを称賛してこう言いました。「あなたの判断が、ほめたたえられるように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしたのをやめさせたあなたに、誉れがあるように」(Ⅰサム 25:33)。新約聖書では、パウロがこう教えています。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」(ロマ12:19)。

今復讐心があるなら、声に出してこの御言葉を読んでください。聖霊が復讐心を消してくださいます。