心が石化する時代

ハーバード大で生物学を修め、現在はUCLAの教授であり、世界でベストセラーとなる著書が多数ある著名なジャレド・ダイヤモンド氏(ユダヤ人)が、「人生の意味」を問われ、こう答えています。「『人生の意味』というものを問うことに、私自身は全く何の意味も見出せません。人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない」(吉成真由美『知の逆転』NHK出版新書)。つまり、人間は石と同じように、そこに偶然に存在しているだけで、人間存在には意味も価値も目的もない、ということです。

この言葉で、合点が行ったことがありました。電車で、人目をはばからずに化粧をする、携帯電話をする、イヤフォンから大きな音を漏らす人たちは、周囲の人たちを「石」だと思っているからなんだと。隣に人が座っても、それは人ではなく「石」、ただの物体として存在しているだけなのです。それゆえ、気にもしないし、関わりも持ちません。マンションの廊下ですれ違って、挨拶をしても無視する人たちがいます。その人(いやその物体)にとって、挨拶をする私は、音を立てて動いている物体に過ぎないのです。物体同士がすれ違っただけなのです。

今日の宇宙物理学や生物学が行き着いた結論からすれば、当然の現象でしょう。世界的な学者がそう言うのです。日本の知識人も、たとえば五木寛之さんも上野千鶴子さんも、人生に目的はない、とはっきり語っています。現代は人の心が石化する時代なのです。

私たちはその時代の流れに抵抗します。キリストを信じる私たちは「石の心」ではなく、「肉の心」を与えられているからです。主はこう約束されました。「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える」(エゼ 36:26)。そして、キリストによって実現しました。決して石化に屈してはなりません。「肉の心」で生きましょう。