火曜日は、時間が許せば、近くの川沿いを散策します。鴨など水鳥がいるささやかな自然です。跳び越せるほどの支流の浅瀬に、ハヤの群れを見つけると、少年の頃のようにわくわくします。林では、カシやナラの実を探して持ち帰り、机に飾ります。
ところで、60前のオジサンが独りで散歩をしていて、歩き心地?が悪いのは、人通りの少ない道で、人とすれ違うときです。以前、同年輩のクリスチャン男性から、「牧師さん、学校帰りの子どもたちに挨拶したらだめですよ。すぐ学校に通報されますからね」と声かけられました。そんな目に遭った人がいるようです。以後、警戒していそうな子供たちからは目を逸らして、やり過ごしています。そんな彼らに微笑んだら、一発アウトだそうです。また、自意識過剰そうな女性が前から来たら、年齢に関係なく、できるだけ離れ、あらぬ方を向いて通ります。その女性を安心させるためあり、誤解されないための私の自己防衛です。彼女らも防衛的になっているのでしょうね。お互いに警戒しなければならないなんて、不自然な町、悲しい時代ですね。
しかし、この季節の散策の楽しみは、農家の野菜、果物の軒下無人販売に立ち寄ること。柿や秋野菜を買い込みます。先週は、農家の若い主婦が「ありがとうございます」と微笑みながら近づいてきたので、「もう少し柿をいただけませんか」と頼むと、近くにいたご主人が「いいですよ」とすぐに何個か採(ぼ)ってくれました。「多めに入れておきましたから」「いいんですか。ありがとうございます」。するとちょっと無愛想に見えたその人の顔にも、一瞬にして笑みが広がりました。ささやかだけど、それが自然です。
もっと大胆で、ふんだんな自然が欲しいと思います。
さて今日は秋の収穫感謝祭です。信仰とは、創造主なる神との自然な関係を回復し、それを喜び、感謝することとも言えます。収穫物は、主からの贈り物です。少なくとも教会の中では、「自然」を楽しみましょう。