わたしについて来なさい

この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。(ルカ5:27、28)

支配者であるローマの手先となって同胞のユダヤ人から税金を徴収する取税人は、売国奴、罪人の象徴のように扱われていました。収税所にすわっていたレビは、疎外感、孤独感、忸怩(ジクジ)たる思いで打ちひしがれていたことでしょう。しかし、「わたしについて来なさい」という主イエスのひとことが彼の運命を変えました。その言葉に従い、レビはすべてを捨てました。そうして新しく誕生したのが、福音書を著わすことになる12弟子のひとりマタイです。

クリスチャンは一人ひとり、キリストの「わたしについて来なさい」という呼びかけを受けて、新しく生まれる体験をしています。そして、新しく生まれたら、そのいのちは継続します。いのちは当然成長します。成長とは、新しいものを取り入れて、古く不要なものは捨て去っていくことです。あるいは、古いものを捨てて、新しいものを取り入れていくことです。これを繰り返さなければ、新生したはずなのに、生活は淀んで腐敗していきます。

古い自分の性質、過去の傷や恨み、腐れ縁などを淀ませ、腐臭を放たせてはいませんか。成長は痛みをこらえて、古いものを削り落とすことでもあります。キリストの「わたしについて来なさい」ということばに従った人には、新しいいのちがすでに宿っています。一つ古いものを切り落とせば、その切り口から新しいいのちの芽が吹き出してきます。

「わたしについて来なさい」という呼びかけは、一度応答すればそれで終わりではありません。毎朝聞いて、繰り返し応答すべきことです。主イエスは復活後に、ペテロに「わたしに従いなさい」(ヨハネ21・19)と新たに命じられました。それに従ったペテロは、今度は別人のように変わりました。成長は生涯続きます。