もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。(イザヤ58:13、14a)
今回のイスラエル旅行では、安息日をガリラヤ湖周辺で迎えました。ユダヤ人の安息日は金曜日の日没から土曜日の日没までです。クルマの運転は律法で禁じられているので道路は空いており、ティベリアの町も、「山上の説教」(マタイ5-7章)がなされたとされる「祝福の丘」も人影はまばらで、鳥の鳴き声と水の音だけの静けさでした。眼下にガリラヤ湖を見下ろすアルベル山は、全く私たちの独占状態と言っていいほどでした。アルベル山は絶壁断崖で見晴らしもよく、「このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。」(ルカ 6:12)という山にふさわしい所でした。私たちはそこで賛美し、祈り、黙想して、しばしの時を過ごしたのです。
エルサレムに着いたのは日曜の夜のことでしたが、そこは狭い道路に車と人がひしめき合う喧騒の「神の都」でした。しかし、そんな町も安息日には車も人出もほとんど途絶え、店も閉まり、静けさを取り戻すのだそうです。ユダヤ人たちは、金曜の夕方数時間前から安息日に備え、家族や友人と食事をして静かに過ごし、土曜の朝は会堂で礼拝をし、午後も出歩かず、読書をしたり会話をしたりして過ごします。そして、日没とともに一斉に活動を再開し、町に繰り出すのです。
私たちの住む町は、一年中、喧騒の世界です。まるで立ち止まることや静寂を恐れるかのように、音を出し、動き回り、むだ口を続けています。今年から、週に一度、静かな夕べと礼拝の朝を聖別し、聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」として大切に過ごしてみませんか。主との豊かな時間と世界が、私たちの生活に広がります。