潜在能力は同じ

ピュリッツァー受などを受賞し、世界のベストセラーになっている『銃・病原菌・鉄』(1997年)で、著者ジャレッド・ダイヤモンドがニューギニア人のほうが西洋人よりも頭がいいと思われると述べています。ニューギニア人は、生活の便利さでは西洋よりも遅れているが、知能が劣っているわけではない。何万年と狩猟生活をしてきても、百年も経たないうちに文字を持ち、産業を発展させ、西洋に追いつく基準を達成することができた。むしろ、ニューギニア人のほうがと優れた状態にある、と。

その第一の理由はこうです。欧米では病気で死ぬ人が多い。病死するかどうかは、頭の良さではなく、遺伝的に抵抗力を持っているかどうかで決まる。一方、ニューギニアでは病気の発生率が低い。人口密度が低いから伝染病は少ない。死因の第一は部族間の武力闘争。それを勝ち抜くためには知恵が必要になってくる。必然的に生きる知恵がつく。

第二の理由。米国の子どもたちは多くの時間をテレビやゲームで受動的に過ごす。しかし、ニューギニアの子どもたちは、会話を楽しみ、遊びも能動的な工夫をする。必然的に脳の活動は活発になる。

武力闘争は御免ですが、厳しい環境や不便な状況にあれば、人は自ずから能力を高めるように訓練されるということでしょう。それは信仰生活においてもそうです。聖書は、主に信頼する者は主の御翼の下に守られるだけでなく、主に訓練されて成長するという両面があることを教えています。どの人種、民族も霊的潜在能力は同じです。成長を目指すなら、主の訓練を喜ぶこと、自分を楽なところに置かないで少し高いレベルを目指していくべきなのです。それゆえ、パウロはこう言います。「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ロマ5:3-5)