昨日、東村山に引っ越しました。人生、16回目の引越しです。17歳まで丹波綾部で育ち、ひとたび東京に出ると、引越しの人生が始まりました。高円寺、池袋、本郷、千葉県八千代台、佐倉、シカゴ、木更津、佐倉、稲城(新百合ヶ丘)、町田、ガーデングローブ(米・南CA)、タスティン(同)、横浜戸塚、東久留米(本町、南沢)、そして今回です。結婚してからでも11回目、3年に1回したことになります。
確かに引越し作業は、時間とお金と労力の無駄です。引越しするたびに心機一転と思いますが、環境を変えたからといって、性格も人生も生活も本質的には変わるわけではありません。学生時代は、勉強意欲を高めるために引越しを繰り返しました。しかし、やはり同じでした。結婚後の重なる引越しは家族には迷惑だったことでしょう。特に子どもたちは、学校が変わるたび、心理的負担がのしかかったと思います。
引越しして良かったことといえば、溜め込んだモノをそぎ落とすことができたことぐらいです。今回の引越しも、これまでより狭い所に移るので、「思い切って捨てるぞ」と決心しました。しかし、性分からか、「これもいつかは必要になる、あれはいつかは使う」と、まだまだ多くモノを引きずってきたのかもしれません。それでも、かなり処分しました。
さて、今回の引越しの最大の目的は、還暦を前にして、教会に近い所に住み、通う時間と労力を減らすことです。これからの時間が重みを持ってくると感じています。ゆっくりのんびり暮らしたいとは思いません。60歳になっても30代のつもりで、とはいきませんが、パウロのように、「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」(Ⅱテモ 4:7)といえる信仰人生の目標だけは持ち続けたいと願います(しかし、引き際も大切にしたいとは思っています)。