ウソに満てる世界

まず、先月発生した虚偽事件のニュースを一つ。「北海道函館市の百貨店で、札幌市と帯広市のパン店の商品として売られていたパンが実は別の店のパンだった」。

しかし、これがニュースになるのが不思議なほど、世界はもっと大きなウソにあふれています。韓国のセウォル号沈没事件で、いくつものウソや不正が明るみに出ました。日本も、ノーベル賞級だと思われたSTAP細胞論文の切り貼り問題で科学界が揺れています。

 名立たる政治家や学者、正義を掲げるジャーナリストや宗教家の中にも、意図的に大ウソ、あるいは半分のウソをつく人たちがいます。平和運動家や人権活動家といっても信用できません。ダブルスタンダード(一方には厳しい基準を、他方には甘い基準を適用する)や部分的事実の切り貼りで、事実全体をねつ造する手法が平然と使われます。また、うわべだけの現象で判断して、誤った情報を発信する人道主義者たちもいます。彼らは「純粋な心」で偏った正義を振り回すので、多くの人たちがそれに踊らされ、事実とは異なることを心から信じてしまいます。「サタンさえ光の御使いに変装するのです」(Ⅱコリ11:14 )。インターネット、新聞、テレビ、雑誌などで報道されていることも、一体どこまでが事実なのか、疑わしいのです。

 ダウト(疑い)というトランプゲームがあります。偽りのカードを見破られないように出さないと勝てないゲームです。最後は、裏向きにされていたカードを全部ひっくり返し、皆がいかに偽っていたかが明るみに出るわけです。現実の世界も、裏向きにして隠されている「カード」がすべて表にされたなら、その偽りの多さと大きさに驚くことになるでしょう。その日は必ず来ます。

聖霊の賜物である「霊を見分ける力」(Iコリ12:10)を求めましょう。「すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守」らなければなりません(Ⅰテサ 5:21)。