死海は、聖書には「アラバの海」とか「塩の海」という名で言及され、地域住民は今も「塩の海」と呼んでいるそうです。海の平均塩分含有率は3%程度ですが、死海の場合は35%にもなり、人が水に入っても沈むことはありません。イスラエルでは毎年のように沙漠の洪水で溺死者が出ます。しかし、死海で溺れ死ぬ人はいません。とはいえ、あまりにも高濃度なので、15分以上浸かっているとナメクジ状態になっていくようです。
さて、そんな死海に生物は生息できるのか。私は、死海には魚は住んでいないと思っていました。しかし、「実は、泉からの水が流れ込む岸辺附近には、小さな魚がわずかながら泳いでいる・・・。そこだけは淡水が塩水に押し勝っている」(池田裕『死海文書Q&A』ミルトス)のだそうです。池田さんは、「死海全体からすればほんの涙のような小さな場所ですが、しかしそれだけにかえって、ちょうど広大な荒野の石の陰に小さなトカゲの姿を見かけたときのような、鮮烈な生命の存在を感じさせます」と述べています。
「そこだけは淡水が塩水に押し勝っている」という表現は、「サタンが死の力で支配するこの世界に、いのちの主である神の支配(神の国)が押し勝っている」という日本の霊的現実を描いているように感じます。毎週の礼拝出席者数が人口の0.2%すぎない日本では、教会は「ほんの涙のような小さな場所」かもしれませんが、クリスチャンは「恵みの泉」で生きているのです。
しかも、聖書は死海についてこう預言しています。「漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる」(エゼキエル 47:10)。エン・ゲディは泉が湧き出ている場所です。信じられないような預言ですが、将来必ず実現します。日本にもそんな奇跡が起こる日が来ます。私たちもその恵みにあずかります。