後世に何を残すか

AD66年、ユダヤ人は支配者であるローマ帝国に対して反乱を起こしました。ローマは強力な軍団を送り込み、次々と城砦を落として、ついにAD70年、エルサレムを陥落させました。そんなさなかの68年、およそ2百年続いたクムラン宗団の人々は、ローマの攻撃を受ける前に大決断をしました。ローマが来れば、居住区は破壊され、人々は殺戮され、生き残れば奴隷にされてしまいます。滅亡は不可避と悟った人々は、自分たちの宝を後世に残すことにしました。といっても、彼らには金銀、財宝はありません。彼らにとって唯一の宝は「聖書」でした。そこで、死海のほとりに住んでいた彼らは、近くの洞窟に隠すことにしたのです。

「死海写本」と呼ばれることになるその「宝」が発見されたのは、1900年後の1946年末ごろです。それまで、旧約聖書の最も古い写本は10世紀ごろのものでした。しかし、死海写本は紀元前2、3世紀から紀元1世紀ごろのものです。写本は時代が古いほど信頼されますが、それが一気に1000年も古くなったのです。世紀の大発見になりました。

私たちも、教会として個人として、次の世代に「宝」を残したいと願います。

不屈の信仰の証し、信仰を継承した子どもたち、教会堂や土地・施設、積み上げた祈り、隠れた主への奉仕、隔ての壁を打ち壊す和解・・・・目に見えるもの、見えないもの・・・自分が主のもとに行った後、誰かの心や人生に残る愛や希望・・・自分は何を残したいか、考えてみませんか。次の世代の資源や希望まで食い潰している現代社会だからこそ、私たちクリスチャンは未来のために良いものを残すべきなのです。

「これら(旧約)の人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(ヘブル11:13)。