1923年9月1日関東大震災が発生し、東京は壊滅的打撃を受け、10万の死者を出しました。来週はあの日から91周年を迎えます。いつ大地震が起こっても不思議ではないと警告されています。そんな時代にあって、もう一度教会の役割を考えてみたいと思います。
1995年の阪神淡路大震災では、諸宗教団体も被災地に入り、ボランティア活動を行いました。その際、どの宗教団体も表立った布教活動はせず、ただ救援活動に徹しました。しかし、山折哲雄という仏教系の宗教学者が、「人間や科学の力を超えた惨事が起こったときこそ、人々が宗教に目を向けるべきときである。宗教人の本分は自分の信じる真理を伝え、人々の魂を救うことではないか。それが一般のボランティアと同じ活動をしたにとどまった。宗教人としての使命を見失ったかのようだった」といった内容の問題提起をしました。それが私の頭にずっと残っていました。そして10年後、私は関西の親しい牧師から、「クリスチャンもボランティア活動に参加して、神戸の街は元に戻った。しかし、教会は何も変わらなかった。以前のままだ」と聞かされました。
また、アメリカの神学者が、2001年のニューヨークで起ったテロ事件(911事件)に関して、著書の中でこんな発言をしています。「あれから10年たったが、アメリカの霊的現実は何も変わっていない。当初、多くの人が教会に集まり、祈った。しかし、その波も引いて、人々は事件前と同じ自己中心主義、物質主義、快楽主義に戻った」。あれほどの歴史的大事件で、アメリカはかつて体験したことのないほどの痛みを負ったのにもかかわらず、真の悔い改めがないというというのです。
日本も、2011年、東日本大震災で東北は大きな打撃を受け、また、原発事故のために福島県の広い地域が居住不可能になるという悲劇に見舞われました。あれから3年半がたとうとしています。日本の社会は東京オリンピックに向かい、東北のことは忘れさられようとしています。また、「何も変わらなかった」を繰り返そうとしているのでしょうか。