震災と教会②

「また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」(ルカ13:4、5)。

2011年、東日本大震災に際して、国内外の著名人から、「日本に対する天罰」「神の裁き」といった発言があり、発言者らは相当の批判を受けました。震災が「神の裁き」なのかどうかは分かりませんが、シロアムの塔倒壊事故に際するキリストのことばからすれば、「神の警告」だとは言えると思います。

大惨事や大災害が起こったときは、主が人間に悔い改めを求めておられるのです。被災した人も、被災したが死を免れた人も、被災しなかった人も同じ罪人です。被災した人たちが特別罪深かったわけでは決してありません。それゆえ、「神の裁きだ」と言って被災者を裁くのは論外です。裁く人がさらに厳しい裁きを受けます。悲劇的な出来事が起こったら、だれもが自分の事として悼み、悲しみ、悔い改めるべき時なのです。

先週書いたとおり、たとい大惨事から立ち直ったとしても、真の悔い改めがなければ、何も変わらず元に戻るだけで終わってしまいます。悔い改めとは、創造主なる神に向き直り、主の光に自分を照らして罪を告白し、主の教えに従う決心をすることです。悔い改めたならば、考え方、行い、習慣、生き方、人間関係に何らかの変化が生じるはずです。

私たち教会は、いったいどのように悔い改めたでしょうか。あなたの信仰生活にどんな一新がありましたか。祈り、礼拝、御言葉の学びと実践、伝道・・・の姿勢にどんな変化がありましたか。主に悔い改めを導いていただきましょう。

「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ロマ12:2新共同)