ありのままの神

「自分のありのまま」を神が受け入れてくださること、それを信じるのが信仰だと教える人たちがいます。中には、自分が変わるのがいやなので、「ありのままの自分」を神に受け入れてもらおうとする人もいます。しかし、それはまだ幼児の信仰です。大人の信仰とは、「ありのままの神」を受け入れることです。それが成長した信仰です。

モーセも最初は、「ありのままの自分」を受け入れて欲しいと主に願った人です。イスラエルの民をエジプトから「約束の地」へと連れ出すように命じられたとき、「私はことばの人ではありません」と拒絶しました。そして、「口が重く、舌が重い」自分をそのまま受け入れて欲しいと嘆願したのです。主が「わたしがあなたの言うべきことを教えよう」と言われても、「ほかの人を遣わしてください」と固辞しました。そんなモーセに向かって主の怒りは燃え上がりました(出エジ4:10-13)。結局、モーセは主の命令のままに指導者として立ち、主のことばに従う40年の人生を荒野で送りました。時に偉大な奇跡のわざを見、時に絶望的になり、喜び苦しみながら民を導きました。そして、「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった」(申命34:10)と言われるほどの信仰者に成長したのです。全能の神、愛と義の神の「ありのまま」を受け入れた生涯でした。

自分の願いや要求ばかりを神にぶつけ、「ありのままの私」を受け入れてくださらないと嘆く「幼児の信仰」にとどまっていたのでは、いつまでも道は開けません。かえって苦しいばかりです。主のことばをそのままに受け入れ、そのとおりに従おうとするなら、苦しみをとおして、主の恵みの世界を知るに至ります。それが主の弟子訓練です。

主は愛と義で厳しく訓練なさる神です。その「ありのままの神」を受け入れ、神のことばにそのまま従おうとするなら、当然失敗し、自分の弱さを悲しむことにもなります。神は、そんな人の「ありのまま」を受け入れてくださいます。「自分のありのまま」が受け入れられる喜びを真に味わうのは、「ありのままの神」に従おうとする人です。