最近の『オリーブ山たよりから』。
ヨルダンには65万5000人以上の難民がいる。その中にはクリスチャンも少なくない。しかし、ヨルダン国内のクリスチャン系の学校は高額で、とても学べない状況。そこで、地元教会が、難民の子供たちを集めて、教育を行っているという。アメリカなどからクリスチャンたちがボランティアで協力しているが、エルサレムアッセンブリーからも、R姉妹が参加してきて報告をしてくれた。R姉はユダヤ人だが、アラビア語を学び、難民たちとも十分コミュニケーションがとれる。イスラエル国籍であるため、一時入国が阻止されたが、現地に赴く事ができたという。R姉によると、難民となったクリスチャンの中には、ISIS(イラクとシリアのイスラム国)に感謝するという人もいたという。「イラクにいたときは、ただ単に毎週教会に行っていただけで、主との関係は感じなかった。今こうしてすべてを失ってはじめて、主との関係を感じることができた。だからISISに感謝する」と語ったという(6月22日)。
日ごろ、主との関係を強く感じていないとすれば、主との間に多くのものを置きすぎるからではないでしょうか。あのこと、このことが間に立ち塞がって、主の御顔を遮ってしまうのです。それを主が強制撤去されることがあります。そのとき、失う痛みや悲しみは大きくても、見通しは良くなるのです。遠いと思っていた主の御手が近くにあることに気づきます。神の声がはっきりと響いてきます。見えていなかった神の計画や将来がはっきりと心に映し出されます。主はそばにおられることを知り心が熱くなります。
だれもすべてを失いたいとは思わないでしょう。しかし、不可抗力的に、大事なものやすべてを失うということは起こります。そのとき大切なのは、失ったものに心を向け続けないで、ただ主を思い起こし、主を見上げることです。
見上げたとき、すべてのことは益になっていることを知るのです。