アダムの罪

罪には、アダムが全人類を代表して犯した罪、いわゆる原罪と、その「アダムの罪」のために具体的に犯してしまう個々の罪があります。
 アダムは主なる神から、「善悪を知る木から 取って食べるなら、あなたは必ず死ぬ」と言い渡されていました。アダムは「蛇」にそそのかされてそれを食べてしまい、「死んだ者」となりました。以来、アダムの子孫であるすべての人間は、「死んだ者」として生まれてくるようになりました。アダム一人のために、死が全人類を支配したのです。
死とは、いのちの源である神から切り離されている(追放されている)ことです。神から切り離された状態で生まれてくるので、神を知らず、神を無視し、神はいないと思い込むのです。
この「アダムの罪」は、私たちのうちに巣食い(ロマ7:17、20)、神の教えに逆らわせ、いろいろな個々の罪を犯させます。私たちは神から切り離されているから、悪いことをするのです。個々人が悪いことをしたから、個人個人で罪人になったのではなく、アダムの子孫だから、だれもが罪を犯すのです。妬み、憎しみ、敵意、争い、殺人、戦争も、この「アダムの罪」から出て来てきます。
罪のないイエスが十字架にかかられたのは、私たち罪人に代わって「アダムの死」を引き受けるためでした。三日目に復活されたのは、「アダムの死」に勝利し、罪人に「いのち」をもたらすためでした。イエスを主として信じ受け入れる者は、「新しいいのち」を与えられて、「死んだ者」から「生きている者」に変えられるのです。これが新生、新しく生まれることです。新しく生まれた者は、断絶していた神とつながり、神の国に入れられ、神と共に生きるようになります。 
こうして、一人の人アダムによって罪=死が入り、一人の人キリストによって、いのちが支配するようになりました(ロマ5:12-)。「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです」(Ⅰコリ15:22)。
では、なぜキリストを信じた今も、罪を犯すのでしょうか。