賛美という音楽、音楽という賛美

牧師のすなる「叫ぶ石」といふものを、信徒もしてみむとてするなり(きのつらゆき)。

 皆さんは音楽が好きですか。それぞれ好きな音楽があると思います。私自身は子供のころから洋楽、邦楽、ありとあらゆるジャンルを聴いていました。教会に行くようになると、賛美歌やプレイズソングに出会いました。その時感じたのは世の中の音楽と教会の音楽には何か決定的な違いがある、ということでした。月日が経ち、教会で賛美奉仕をするようになってその疑問の答えをいくつか見出すことができました。
  まず、主人公が違うということです。世の音楽の主人公は自分や好きな人、家族、社会などです。しかし、賛美の主人公は私たちの神、主イエス・キリストです。だからこそ、その歌は賛美なのです。賛美は神の栄光、神のみわざ、あらゆる神のご性質を歌います(神を信じる私たちの心を歌うものもありますが、それは次の機会に)。賛美をする時、私たちは私たちの信じ愛する神を歌い、神に歌を捧げるのです。
  もう一つは、賛美の中には生ける神ご自身が住まわれるということです。詩篇22:3に「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます」とあります。主の民となった私たちが心からの賛美を捧げる時、主はお応えになります。ソロモンの時代に神殿が完成した時、祭司たちが歌い、ラッパやシンバルや立琴を奏でて賛美を捧げました。すると「その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた」(Ⅱ歴代誌5:13)のです。その雲は主の栄光であり、祭司たちは立って仕えることができないほどに圧倒されてしまいました。主のご臨在をもっと体験してみたいと思いませんか。主の臨在がある所には癒しと解放があり、私たちのたましいは生き返ります。

今年、私たちの礼拝がどのように導かれるのかまだ分かりませんが、私たちがまた大勢で集まり、思い切り賛美を捧げる時のために、今この時に主の前に整えられていきたいと思います。主に喜ばれるきよい、生きた供え物として自分自身を日々、主にお捧げしていきましょう。