先日「嵐」の松本潤さんの話を耳にしました。
「大野くんと相葉くんのようにボケるふたり。ニノがツッコミ、櫻井くんが仕切り、俺は”つなぐ”役割だった。『どう思いますか?』とふられた球を、みんなが考える間につなぐ。面白い答えが出るまでの“間”をつなぐアシスト。現場は盛り上がるけれど、編集ではカットされるから俺は目立たない。でもずっとゲームメイクしてきた。」
この言葉から感じたのは、各メンバーが自分の役割を理解し、主張よりバランスを大切にしていたということ。何より松本さんの「他の人が輝けるように」という立ち回りは、相互補完型チームの理想の形。そして、これは教会の一致にも通じるものがあると思います。
- 異なる役割を担うことの価値
教会は霊的な賜物の違いによって支えられる共同体。嵐のメンバーがそれぞれの役割を大切にしながら「「自分の立ち位置を守ることで他の人が輝けるように」と動いていたように、教会でもそれぞれが与えられた役割を誠実に担うことが、全体の働きを豊かにしていく。
②見えない働きを認識する文化
礼拝で例えるなら、椅子を並べる人、受付で静かに案内をする人、音響映像のセッティングを担う人、週報を準備する人、裏で祈って支える人、、、こうした奉仕が積み重なることで、教会は健やかに保たれている。牧師、役員だけでなく、名前の呼ばれない奉仕者の存在があってこその教会。「支えている人を支える」姿勢が、教会の土台を強くしていく。
③ 関係性の中で支え合う
「〇〇が祈ってくれているから、私は安心して立てる」といった信頼に基づくチームワークは、御霊の一致を生み出す土壌となる。 教会を“チーム”として捉えることで、互いの違いがむしろ力となっていく。誰かの小さな働きが、他の誰かの大胆な一歩を支えている。それぞれが自分の持ち場を喜びをもって担いながら、相手の賜物を生かそうとする時、主のからだである教会はよりいっそう豊かに成長していくのではないでしょうか。私たち共通の目標は「キリストの栄光を現すこと」。共に“ゲームメイク”を思い描きながら、神の家族としてのチームを建て上げていきたいです。