光の偉大さを知る

少し前の日曜日、礼拝終盤に突然停電する、という出来事がありました。外からの光があまり届かない前方座席は、週報の文字も読めない、足元もよく見えない暗さ。戸惑い、ざわめく会衆。礼拝後、外に出てみると、近辺一帯の電気、信号まで消えており、何やら大ごとのようだ。不気味なサイレンのような音も鳴り響く。訳がわからず何となく不安な空気に包まれる町。会堂の薄暗い中で、話をしたり、昼食を食べたり。電気が流れていないと水道やトイレも自由に使えないのか、不便だな…と感じていると、2時間程経過した時、突然パッと電気が灯りました。

わあぁ!と上がる歓声。別の階からも聞こえる歓声、他の部屋まで様子を見に行ったりして、喜び合う姿。いつもついている電気が灯っただけでこんなにも喜びが湧き出るとは…!

思わず「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った(イザヤ9章)」の御言葉が心に浮かびました。当たり前のように享受していたものが、どれだけありがたいものだったのか、ということを実感した出来事だったように思います。

闇を経験しないと、光がどれだけ素晴らしいもので、感謝すべきものなのかがわかりません。闇の世界に光として来られたイエス様、当たり前のように信じているけれど、もし来られていなかったら…?

光を知らない、光に背を向けている時は闇を闇とも知らず、「大丈夫」と思っていたことは的外れで全然大丈夫でなかったりします。

ところで、近くの信号が消えていた時、教会から兄弟2人が交通整理のため向かい、車や歩行者を誘導していました。光が消えた町で人々を導く姿は、さまよう羊を導く牧者のようだ、とこれまた感動しました。 この季節はあちこちにキャンドルが灯ります。暗闇に灯る光は、たとえ小さくても温かく、安心するものです。暗闇の世で、小さな光として、キリスト者である一人一人が用いられてきますように。クリスマスの真の光と喜びが1人でも多くの人に届きますように。