「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)
キリストは教会がかたちをとる前から、「・・・あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)と世界宣教を命じられました。そして使徒1:8では、「地の果て」までの宣教を実現するために聖霊が与えられることを約束しておられます。
エルサレムは神の都であり、神の国の福音の発祥地です。私たちにとっては、「エルサレム」とはGCCの地元、家族や多摩地区になるでしょう。「ユダヤ」とは東京とその周辺、「サマリヤ」は日本宣教に当たるかもしれません。「地の果て」は言うまでもなく世界宣教です。
『使徒の働き』で、神の国は、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、地の果てという順に広がって行きましたが、それは短期間で同時進行のように成し遂げられたことです。教会に十分な余裕ができたら、次の宣教の段階に入っていったというわけではありません。それは、今日もそうです。海外宣教は余裕ができたら、そのときに考えるというのではありません。もちろん教会は、家族、地元、地域宣教を中心に活動していますが、いま同時に日本宣教、世界宣教を視野に入れて祈り、人材と機が熟したら積極的に送り出すべきなのです。地域宣教と世界宣教は教会の両輪であり、世界宣教をする教会は地域宣教に熱心になるといわれます(そんな実例は日本にもあります)。聖霊は、両方の働きのための力だからです。
GCCの若い世代や子供たちから献身者や世界宣教にビジョンを持つ人材が育つように祈り、世界を見聞する機会を与え、訓練したいと思います。聖霊はそのような教会に臨み、力を与えてくださいます。韓国のトーチトリニティから、各国の神学生による宣教チームを迎えるのはそのためでもあります。