匿名という闇

インターネットの功罪についてはいろいろ言われていますが、最大の暗黒面は何と言っても「匿名(仮名)コメント」に代表される無責任な投稿でしょう。悪意に満ちたあらゆる中傷や罵詈(ばり)雑言が並び、人間の暗黒面をこれほど明確かつ露骨にさらすものは他にありません。人はなぜか、自分の正体が隠されていると、いとも簡単に暗黒面に落ちてしまうもののようです。

匿名という陰や、闇にまぎれて密かに悪を行う人の品性は、どんどん卑しくなっていきます。本人は気が付かなくても、闇が顔にも現れてきます。最初は、神様にしか分からないのですが、次第に分かる人には分かるようになり、やがてたいていの人には分かるようになり、遂には誰が見てもわかるようになります。それが闇の行いというものです。

ザ・ハフィントン・ポスト創業者兼発行人のアリアナ・ハフィントン氏が、「表現の自由は、匿名性の陰に隠れることなく立ち上がって発言する人たちのためにある」「成熟したインターネットのニーズに応えるため、もう1歩前進したい」と聴衆に呼びかけ、匿名コメント排除に乗り出す考えを示したという報道がありました。「匿名性」という闇に光を当てて消し去ろうという試みです。

「ですから、私たちも、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか」(ロマ13:12)。「実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しましょう」(エペ 5:11)。

生活の中に、「匿名性」などの陰を作らないようにしましょう。闇が入り込む隙間がないように、常にキリストの光を浴びていましょう。そのためには、一週間を「霊的な礼拝」で始め、その礼拝の流れの中で、毎朝主に向かい、祈り、賛美し、みことばを学ぶことです。短くてもそれを習慣化しましょう。顔に光が戻ってきます。